ぼんやりとしていた。
ドルフィニストアカデミーの「ヒーラー養成クラスⅠ」が始まってから、自分の内にいるさまざまな人格との対話が始まっている。
やりたいように自由にやりたいチャイルド。
これがいいよ、あれがいいよと口出ししたり、心配してくるマザー。
今のところチャイルドは、それを制限と思っている。
傍観しているファザー。
ファザーは見守りをよかれと思ってやっている。
私の現実で繰り広げられている、人間関係の「基本ほったらかし、それぞれが自由にやったらよい」の価値観は、内側でもそのまんま繰り広がっている。
けど、チャイルドがファザー&マザーに求めていることは。
守って!応援して!寄り添って!
否定しないで!ほめて!
意外にも、ぼくともっと関わって!というSOSだった。
それと、やりたいことやりたい!の奥にあったもの。
ぼくは、このまんまのぼくをいいこいいこしてほしい。
このまんまのぼくに注目してほしい。
愛してほしい。というものだった。
ファザー&マザーは、まだまだ未熟だけど、これからチャイルドに積極的に関わっていこうとしている。
こっちから話をききにいってあげる。
いざというときは盾になり、チャイルドを守る。
行動する。
不思議と、今までとってもおそれていたことが、チャイルドの為と思うと、勇気がでるし、腹も決まる。
ファザーもなかなか男らしい。
マザーは、もやっとした気持ちをすかさずよりそうことを心がけている。追求するのではなく。
そして、チャイルドのやりたいことをなるべく叶えていく。
チャイルドは少しずつ、防御をおろしていくのかもしれない。
そんな内側でのバランスが機能し始めたような感覚。
私にとって、今まで悟りというアプローチではアクセスしてこなかった領域。
悟りでは思考や感情を創り出す私にダイレクトにアクセスしてきた。
思考や感情をとびこえ、そこから影響を受けない私を強く感じられるようになっている。
インナーチャイルドワークは、起こる感情や欲求の一つ一つを、丁寧によりそって、感じること。
私の人間的な部分を愛するワーク。
ドンピシャで必要なワークでした。
さて、その対話のなかでいろいろ変わっているけど、整理できているわけではない。
どうしたらいいかわからない。
理解できてないけどわかったこと。
私のなかにゲスもいた。
弱いものいじめ。自己保身。
それらを否定して、幼少期の行為を後悔し、自分を責めていた。
私の中に全部いる。
もちろんゲスもいるよね。
いていいよねってなったら、楽になった。
それに連動してか、私が無意識にもってる優越感(劣等感)に気づく。
特に、「自分をわかっているか」というものさしを強く握っていた。
私が気づいてなかった私自身のパターンを指摘されると反応する。
私が私を見れていなかった恥ずかしさが急に出てくる。
それが反発や防御、スルーという対応になる。
でも、自分を知ることにお金と時間をかけているから、器の小ささや偏見がないわけではなくて。
むしろそこにめっちゃ気づいてきてるわけで。
そのゲームを、ただ私がそこに興味があるからやっているだけだし、知らないところも無限にあるわけだよね。
それを気づかせてもらってる。
そして、お金と時間かけなくても、シンプルに自分と対話して、調和している人はいるんだよね。(あくまで本人しかわからないことだけど)
どっかで聖人ぶったり、「私はもう十分私を知ってます!」みたいなプライドはもう手放していいなぁ。
根本にある私を知りたい欲求がいろんな体験をつくってるから、その欲求を持ってる限りはそういうこと創るしね。
今のところ、その欲求を手放すつもりはないしね。
私は今まで知らなかった自分を知っていくのは楽しい。
すべてがそれをサポートする味わいだよね。
わぁつれつれと書きました。
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