自覚と悟り

幼少期の原風景

3~6歳、私は青森県の南部町というところに住んでいた。

その後津軽に移ったので、地元といえば津軽ということにしている。

しかし、私の原風景は、いつも、南部町にあった。

先日、28年ぶりに、そのあたりを見てきました。

住んでいた町営住宅の跡地。

住んでいた平屋はなくなっていたけど、階段はそのまま。

跡地にはたくさんの花が咲いていた。

あぁ、ここにいた。わたし。

懐かしさがこみあげてきた。

 

その町営住宅のそばに、「さわ」と呼んで、近所の子たちとよく遊んだ小川があった。

ここで、ままごとをしたり、木の根っこに入って遊んだりした。

その「さわ」が、当時のまま、残っていた。

大人になって戻ったのに、当時の記憶と、スケール感もキラキラも、寸分たがわぬすてきな「さわ」。

ここで、しばらくぼーっとしていた。

ここでは、時間が止まっていたのかもしれない。

すべての風景が、さびれることなく、鮮やかに私に「久しぶり」「おかえりなさい」と歓迎してくれた。

夢に抱いていた理想郷にいる気もちで、とても幸せな気持ちで、散策していた。

私はここが大好きで、こことひとつだったんだ。

小学校二年から移った津軽で、私はたくさん友だちもできたし、バリバリの津軽弁になったし、楽しい青春をすごした。

一方で、心のどこかでは、ひとりぼっちというような感覚があった。

南部町についたとき、ああそうか。

ここが故郷だったんだと感じた。

何の努力もなく周りとひとつだった。

全部が話しかけてきた。

その感覚がよみがえってきた。

これを思い出すために、私はボイスワークや瞑想や、自然に入るということをしていたのだなぁ。

この原風景の感覚、「ふるさと」「ひとつ」という感覚を追体験したくて。

そうとはしらず、そうしていたんだ、とわかった。

このままここで育っていたら、きっと当たり前になりすぎていたんだろうな。

この風景も、なにもかも。

28年ぶりだからこそ、こんな気持ちを思い出したんだな。

ありがとう。

ありがとう。

小学校の近くのスーパーは、建物だけ残っていた。

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新月から満月まで。私の様相。

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