どうやら私の中には、周りのほぼすべてのものを見下すという、鼻持ちならない人がいます。
それは、特に自分の好きな分野で、自分の考えと違うことを言っている人、スタンスが違う人に対して出てくるようです。
私、それぞれがそのまんまでいいなんて言ってるくせに、周りのいろんな人の「そのまんま」にだめ出ししてるなぁ。
そんなことに気づきました。
なんとも暑苦しい。
私が思う私の嫌いなところです。
で、いったいなにが気にくわないのかというと、
どうやら、その人が本当のこと(ありのままの考えや気持ち)を言っているように見えない。ということが、反応ポイントのようです。
外面ではそんなこと言っておいて、本心は怖くてしょうがないんじゃないの?
おすすめするようなこと言っておいて、本当は承認されたいんじゃないの?
みたいなことをよく思います。
怖いことや、承認されたい気持ちをなんかいい感じに歪曲しているように見える場面に腹が立ちます。
本当のところ、その方がどういう気持ちかというのはあまり重要ではなく、私がそのように見ていること、そう受け取っていることだけみていきます。
反応している理由は、私が私に、「自分に正直であること」を課しているから。そこに絶対的なこだわりがある。
そして、それを正しさとして掲げている。
自分に正直であるべきだ。
そんな考えが根っこにあるから、自分が人に合わせる場面が出てくると、「いいのそれで?」といちいち言ってしまう。
本当は、どんなに本心と違うことを言ってもやっても、その本心をわかってあげさえすればいい。と思っている。
てことは、やっぱり、私は私の本心をわかってあげるべきだ!とは、強く思っているのだなぁ。
ここまでで、私の採用している個性がはっきりしたので、これを大切にしたらいい。
あー、ここで終わりにしたい!んだけど~
そしてこの個性も、私がとりつかれてる、ひとつの考えなのだ。
どんなによく見える考えも、それが考えだと気づくことなく採用しているうちは、その考えの奴隷になりつづける。
その考えからはずれるといけない。枠からでることを禁じつづける。
こうして、私が私自身を知っていくことだけが、私の枠から私を自由にしてあげられる、と思います。