先日7ヶ月ぶりにヨガに行きました。
ヨガで解放&リラックスされたら、その夕方から喉の痛みと頭痛が、、、(;´Д`)
普段使わないところのエネルギーも動き、効果てきめんでした。
昨日は一日寝込んで自分にあまあまに過ごしました。
こうやって自分の体に聞いてゆっくり過ごす時間、やっぱり幸せですね✨
9月からバイトを始めて不定期で働かせてもらってます。
デパートの売り子さんです。
ずっと販売&接客業で働いてきましたので立ち仕事はお手のものかと思いきや、三年ぶりの立仕事は予想以上に体にきました。
しかしちゃきちゃき動き回れるこの仕事、私はやっぱり好きみたいです。
ひさしぶりにその感覚を思い出しながら、セッションやお茶会だけが自分の好きなこと・やりたいことだと思っていたけど、私は昔から「好き」を仕事にしていたのだ。と気づきました。
ただそこに必要以上の責任を感じてしまっていただけでした。
しばらくはアルバイトとヒーラー、二足のわらじで行こうと思います。
こう思える余裕が出てきたのも、ここ数ヶ月で私のベースにある考えが変わってきたからでもあります。
それは「私は生きていける」という確信です。
他の人なら、これはふつうの感覚かもしれません。
老後の心配など考えられるのは、その前提に「当然そこまで生きるだろう」という信頼があるからです。
私は乳がんになってからその前提がなくなったので、「やりたいことは今やらなくては」という強迫観念にとりつかれていました。
それは一見今を大切にする考えにも見えますが、私は本当はどうしたいのか?を問うまえに採用していたので、本心とずれてしまっていることがありました。
それがゆるんできたのは、ブログで闘病記をつづっていることが影響しています。
闘病記を通して真っ向から乳がんの体験と向き合っていると、この体験そのものが私の創作物だとうことが腑に落ちてきました。
不思議なことに追体験を重ねるごとに、これがリアルではなく単なる記憶であることがはっきりしてきたのです。
なので「いつまで生きられるかわからない」という幻想にとらわれることなく、より楽に動けるようになってきました。
失敗したらまた考えよう。疲れたらやめよう。違うと思ったら方向転換しよう。たくさん経験しよう。
ベースが「あと50年生きられる」感覚なのか、「あと10年生きられるかわからない」感覚なのかで、今の過ごし方ってかわってきますよね。
私は死を理由に今を生きるのではなく、安心して一歩一歩、歩んでいきたい。
たくさん失敗して、ときに自分を見失って、たくさん後回しにして、のんびりと生きていきたい。
そんな自分の欲求に気づいたので、そのように過ごしてみようと思います。
道は永遠に続いてゆく。
安心して進もう♪