3月後半は急にスイッチはいりまして、自覚した自分の思い癖・パターンをどんどん書いていきたいと思います。
ちょっと来月からは空気変わりそうなので、そわそわしながらも、今こそどんどん内側も断捨離していこう。
最近自覚したことなのですが、私自分のこと(体験、個性、趣味とか)「たいしたことない」って思いがちなのです。
直近ででてきた「たいしたことない」って思ったエピソードでいうと、ブログで書いてる乳がんのこと。
31歳で乳がんになったことを公言しているけど、私よりさらに大変な思いしている人たちには響かない領域のことってたくさんある気がしています。
もっと若くて同じ病気の人、もっとステージが進んでる人、トリネガの人、子育て中のママ、シングルで働いてる人。
同じ病気でも、私には到底わかることのできない気持ちを体験している人たちがいる。
(上記の人たちが私より大変と思い込んでる時点で、気持ち悪い偏見と偽善的自我を持ってるなぁとも思う)
そういう人たちを差し置いて、何偉そうに当時の気持ちなんざ語っちゃってんのー。
その程度で大変なんて言うなや!
その程度で人生わかったようなこと書いてんじゃねーぞ!
と、自分が自分にいってます。
これ、まじなんですよ。
自分でも気づいてびっくりしました。
どんだけどMなら気がすむんでしょうね。
どんだけ突き詰めた体験なら、よしもう堂々と語っていいぞとGoサイン出すんでしょうね。
いま闘病当時のことを振り返っていますが、闘病時の私は(特に抗がん剤の副作用がきつかったときや、父が亡くなったとき)、心をフリーズすることで乗り切っていました。
感じきるなんてきれいごと、このときの私には絶対言えないし、きっとこの段階で感じきったら死んでしまうと思う。
スピリチュアルなんて、人生安泰の人の暇つぶし。
きれいごとなんだよ、全部。
健康な人同士で仲良くやってなよ。
ほんと、怒っていましたよ。
(●´ω`●)
そんな私が今、ヒーリングをしています。
オチはないです(笑)
なぜヒーリングをしているのか、これはきれいごとではないのか、私の自己満足ではないのか、答えは出ていませんし出す気もありません。
ただヒーリングをさせてもらっている最中は、感謝と幸せでいっぱいになるので好きでやってます。
このフレーズ、当時の私なら「けっ!」と言ってたかもしれません(笑)
闘病後、しばらく距離をおいていた乳がんの人のブログも、ようやく見られるようになってきました。
きっとそれは、体験に優劣やいい悪いなど全くないという自覚から、まずは自分自身の体験を尊いものとして受け入れることができたからだと思います。
あとブログで自身の闘病と向き合うことを通して、逆に、それがストーリーでどんだけドラマチックでも平凡でもいい、私はそれから自由だということもわかってきたから。
なんというか、私が思うことつづることは、やっぱり乳がん体験している人に読んでほしい。
それが読む人にどう思われようと私のありのままなのだし、そこに少しでも「共感」が起こるなら、ハートに何かの種が蒔かれることになるとおもうから。
(あぁ。。またスピっぽいオチになってしまった笑)
長いヒトたち(笑)