ドルフィニストアカデミー悟り合宿、今回は和歌山県の高野山に行ってきました。
以下、合宿直後につづった日記です。
初めての仏教の聖地。初めての宿坊体験。
でもなぜか懐かしい。
静寂に入る瞑想をたくさんやった。
内側の静寂を怖いと感じなくなった。
安心して静寂に浸っている私を感じた。
ポコポコと考えやビジョンと認識する前の泡みたいのがうまれるのを見ていた。
たくさん静寂を感じて、静寂に浸るのはこわくなくなったけど、これが何になるんだろう?と考えがうかんだ。
高野山奥の院で、肉体に入っている私、私と肉体が分離して、着ぐるみ着てるみたいな感覚をつくった。
着ぐるみをきてきょろきょろしている感覚。それが、その夜までつづいた。
その感覚でいると、私がつくる考えをはなれてみている私がよりはっきりと感じられた。
別の存在が人間の私を体験している。
なぜ、この存在は人間の私を選んだのか?なぜ、人間の私は存在するのか?そんな疑問もつくった。
その夜、じゅうぶん無にひたり、無にくつろぐことをした上で、そこからわきおこる伝えたいこと、やっていきたいことを感じてみる。
私は私の原点の思いをおもいだした。とてもシンプルで、迷いようがないものだった。
無が怖くなくなったけど、無がいったい何になるのか?という疑問にたいするひとつの答。
無からわきおこる思いは強く、迷いがない。それをはっきりわかることも、その一つだなぁ、と思った。
皆ぴかぴかしていた。
自分のありのままをかくしてまわりに合わせたり、小さくいたりすることは、別にしてもいいけれども、もったいないしつまらない。
シンプルに溢れ出させたら輝くだけ。なんだなぁ。と思いました。
私からいったい何がわきおこっていくのか、楽しみです✨
合宿からもどってきて数日。
内側では大波小波たくさんきてる。
気づいてなかった自己否定や怒り、無意識の抵抗が出てきている。
めまぐるしくて、合宿時の状態がもう思い出せない。
変わっている。
静寂からうまれるもの。そこからうまれる現実。
それをみている視点。
内側や外側に、どんなに激しい変化が起ころうと、安心している私がいつもいる。
ありがとうございました。
悟り合宿に参加できる会員制コミュニティ「悟りメンバーシップ」については、公式サイトをご覧ください。