今まで、恐れあってもいいよー♪ていってて、恐れとやりたいことがぶつかったときに、「やらない、がんばらない」を選ぶことがたくさんあった。
どっちが楽か、楽しいか、心地いいか。
それを焦点にしたときに、「やらない」を選びつづけることで、やりたいと思っていたことをやらなくても私は大丈夫なんだということを確認しつづけ、それが板についてきた。
かつては、行動や結果=人の価値と思っていたから、何かしていないといられなかった。
「なんにもしなくても価値は変わらないんだ」ということを、私はずっと私に伝えたかったし感じたかった。
そして徐々に現れてきた私は、寝て、起きて、猫と遊び、ぼーっとする、一人でぶらぶらする、なんということはない日常に満たされる私だった。
このまま生きていってもいい。
そう思えたら、やりたいことが浮かんだ。
満たされることや、何か解決することを追い求めるんじゃなく、今でいいんだよ。っていうことを伝えられたらいいな。
そこから、ありのまま茶会の構想が始まった。
日常で満たされていた私は、やりたいことが動き出したら、あるパターンが発動していることに気づいた。
Beでくつろぐ状態からDoで行動するとき、起こる不安。恐れ。
それは、わくわくから始まったはずなのに、周りを巻き込みそうになったら発動する。
期待に応えたい。成功させたい。みとめられたい。
その承認されたい気持ち(不安)が、わくわくをのっとってしまう。
でもね。
不安が出てきたときに、不安をぎゅって握ってたのは私だって気づいた。
わくわくと不安が同時に出てきたときに、不安を大きくして、そっちにばかり注目してた。
それが、私のパターンだってことに気づいた。
だから、また不安が起こってきても、ふーん♪でいいってことがわかった。
それが心底わかったのは、不安でいることでmomo.はある意味安心して、自分の存在を確認してたってわかったから。
それが、不安でいることのメリットだった。
もう不安を流していいんだ、自分の価値や存在を自分に主張しなくても私は大丈夫なんだーって思えたら、芋づる式に、あれも不安から、これも不安からって、ごっそりと考えを流すことができててびっくりしてる。
人をねたむことも。
誰かと比べることも。
何かをうまくやろうとすることも。
誰かの言葉ですぐ傷ついちゃうことも。
人の反応を気にすることも。
誰かの言動を批判することも。
たくさんの思いが起こるたびに、不安からなんだってわかるから、幻想だってわかるから、どんどん流せる。
今ここにある幸せを感じているだけでいいし、わくわくが起こったら行動していけばいいって、どんどんシンプルになっている♪
もう、不安は採用しなくていいんだ。
不安が消えるんじゃなくて、不安が重大なものじゃなくなっている。