自覚と悟り

視覚と聴覚がなくなってもなお感じられるもの。

お休みの日はお昼まで寝たおす、にゃんずと私。

師走が始まりましたね!

私は一ヶ月のニート期間からむっくりと目覚め、再びのアルバイト期間が始まりました。

しばらく世の中と人間観察を楽しみたいと思います♪

少し前に視覚と聴覚の話を書きました。

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五感を丁寧に感じていくと、幻であることがわかっていく。

冬季に向けて着々と肥え始めました(笑) 毎年秋中盤から食欲が増して、徐々に体重が増える。 春の始めはもう体重マックスです。 それでも焦らずにいると、初夏~秋口にかけては食欲ダウン。体重も減ります。 身 ...

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一時的にでも視覚と聴覚を同時にシャットアウトしてみると、(光の入らないお風呂や、暗室みたいなところ)いろんな発見ができます。

この感覚は根拠はないものの、私には馴染みのある感覚。

深く入っていった先に湧き起こった(思い出した)気持ちをつづってみたいと思います。

まず、そこには昼と夜の認識がありません。常に真っ暗です。

だから、私には昼だろうが夜だろうが関係ありません。

時間も存在しません。

時計は見れないし音も聞こえません。

ここはただ真っ暗な世界。

いつ寝ても、いつ起きても同じこと。

体の感覚だけに従うだけです。

長生きという欲も消えるでしょう。

この真っ暗なときが長くつづいたからどうなるのでしょうか?

生死の境すら薄っぺらいものです。

愛する人は本当にいるのでしょうか?

感じるのは、何かが手に触れる感覚。

姿は見えず、声も聞けない。

それが愛する人だと信じて触れるしかありません。

ほたるとミーシャも特定できません。

それはただふわふわした感覚の動くものです。

何かの成功を目指したところで、見返りを実感することはありません。

旅に行っても美しい景色も水の音も感じられない。

わずかな風といつもと違う匂い、食べ物が突然感じられるだけ。

口座の残高は見えないし、増えたから、減ったからどうなるわけでもない。

それとも、より豊かな触覚や味覚を味わうことがあるかしら?

ブランドの服かどうかは関係ない。

それをきれいに着こなしたところで賞賛する顔も見ることができない。

入ってくる情報はゼロに近くなる。

周りについていくことはできません。

たくさんの本を読んだりセミナーを受けて自分を成長させることもできません。

そもそも周りに誰かいることすら、私は想像することしかできません。

正直今私がおならをしたところで、恥ずかしくもなんともありません。

周りの反応が感じられないのだから、周りに人がいるいないは私にはどっちでもいい。

世の中に何かを発信しても、返ってくる反応や感想を受けとめることはできません。

誰かが指文字や点字で伝えてくれるでしょうか?

「ほ・ん・う・れ・て・る・よ」

それを知ったからどうなるでしょうか?

視覚と聴覚を失っても私に残る欲求はなんだろう?

触れる感覚。抱きしめる感覚。

きもちいい。あたたかい。すずしい。ふわふわ。ちくちく。息ができる。息が苦しい。生きてる。

思考や感情もよりくっきり感じられます。

ただそれはつかまるところがなく、すぐに消えていきます。

現れたり、消えたり。

私にはどうすることもできません。

そのかわり、影響を受けることもありません。

時間と空間の影響を受けないところでたゆたっている感覚。

あるのは莫大な自分と向き合うための「とき」

ほんのときたま、触覚・味覚・嗅覚

「外の世界」があるのかないのかもはっきりしません。

というか、どっちでもいいです。

幻想か、本当か。

その議論は全くの無意味です。

私には今感じられる私の世界しかありませんから。

そして、失われたようにみえるものがたくさんあっても、「私」自身は失われることも傷つくこともなく。

入ってくる情報がない中でも「何か」は枯れることなく、湧き起こり続けるのだろうとおもいます。

私はその湧き起こる何かを発信し続けるのでしょう。

伝わってるかどうかは、もう意味をなさない。

それでも私は私のために発信し続けるのだと思います。

ときおりその次元から、今の私に飛び出してくる「何か」、これからもシェアしていきたいと思います♪

-自覚と悟り