自覚と悟り

乳がん闘病中に感じていた「ありがたみ」

今日は朝から暇で、行きたいところもやりたいことも見あたらず、昼までごろごろした後、モスバーガーでごはん。

食べながら思ったことは、いつの間にかこの日常が当たり前のことになっているなぁ、ということ。

暇を感じるってことは、今を当然のこととしてなんのありがたみも感じてないのかなぁ。

そして数年前を思い出した。

乳がんの治療中、髪が全部抜けた。

その後生えてきた髪は白髪がたくさんまじっていたけど、そんなのは気にならないくらい「ありがたい」と思った。

具合が悪くてなにも食べられない期間の後、徐々に復活してるときに食べたカレーはとってもおいしく感じた。

二年ぶりに生理が戻ってきたときも、下腹部の痛みがいとおしかった。

一度、若年性乳がんのブログ友だちで貸切の温泉に行ったことがあった。

私は31歳だったけど、最年長だった。

他の子はみんな20代で、全6人中5人が髪がなかったし、4人は術後で胸がなかったり再建中だったりした。

人目を気にせずお風呂に入れるということがこんなにもありがたいんだねって、みんなで話した。

今では、全部当たり前になっている。

病気をどう扱っていいのかわからないという気持ちもあった。

この経験を学びと思おうとした。

この経験の原因を突きとめようとした。

私の何がいけなかったのだろう、と問い続けた。

この経験を生かそうとした。

早く経験を深みに変えたかった。

経験をポジティブにとらえられなければ、ずっと私は健康な人の下のままだと焦った。

もう二度と再発したくないとがんばったときもあった。

その反面、いつ死ぬかわからないからやりたいことをやろう、とがんばったときもあった。

今では、そう思っていたことすら感情を伴っては思い出せない。

健康のためにとやっていたことは、何一つ続いていないし。

食事も、抗ガン剤や薬も、一般論はおいといて、自分が何を大切にして選ぶか、だけだから。

それほどまでに、今の私にとっては、病気はつらい経験でもいい経験でもない。

ただの経験だ。

もっともカミングアウトしてるので、周りには私に「病気の人」というラベルをはってる人もいて(私を愛してくれる人たちだが)、かけられる言葉はいつまでたっても「体調大丈夫?」だったりする。

「まだ油断はできないね」

「まだ若いのに、、」あたりも反応してるかも(笑)

周りがにぎってるほど私はもうにぎっていないし、だからといって、この先長生きするとか確信があるわけでもない。(それについて恐れも期待もない自分に今気づいた)

人って結構忘れていくものなんだなぁと思う。

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