ある夜、我が家の白い方のミーシャが異物を飲み込んじゃったかも!?と心配しました。
その後心配な数日間を過ごしました。
ミーちゃんは今年の2月にヒモを飲み込んで取り出す手術をしました。
同じことを再び繰り返してしまった・・・
自分を責めるとともにあのときの心配が頭をよぎり、「ごはんはちゃんと食べれてるか?」「うんちは出てるか?」「元気そうか?」ずーっと見てましたの。
ただ静かにしてるだけなのに、体調わるいのか?と不安になったり、、
うんちがいつもより遅いので、腸で詰まってるんじゃないか?とすぐ心配したり。。
「心配してるなぁ」ということだけは強烈に感じていたのですが、ふだん自覚や悟りについて学んでいるからといって、達観したりとか、手放したりとかできませんでした。
というか、やってみたんですけどね。
これは幻想だ。私はいない。今ここしかない。心配は私のエゴだ。なるようにしかならない。
日頃の特訓(?)の成果を試してみたんですけどね。
圧倒的に、心配の方が勝りましたよね。
その言い聞かせをしていること自体が苦しかったです。
それに気づいて、「もう心配なんだからおもいきり心配しよう。心配。心配。心配。」と、あきらめて思う存分心配しました。
不安だったのでカードも引きました。
カードからポジティブなメッセージをもらったので、少し心が安まりました。
結局は、心配が起こっているならそれに対処することはできないし、対処すること(楽になろうとすること)はむしろ苦しみをうむ。
いまある心配やネガティブな思考感情をどうにかしよう(受け入れよう、むきあおう、解放しよう)とすることもいいんだけど。
もうそういうことじゃなく、思考感情をコントロールすることを放棄して、辛いなら辛い。不安なら不安。それでいいじゃん。て思いました。
もう、思考感情に振り回されてる時代じゃない。
振り回されるって、思考感情をコントロールしようとすること。
思考感情に使われないようにしようとがんばること。
思考感情の主人になろうとがんばること。
思考感情をどうこうするしないに、メソッドや正しさをくっつけなくていいよー。
現実をコントロールしなくていいよー。
よくなろうとがんばらなくていいよー。
逃げていいよー。
やっぱり今のまんまでいいよー。てこと。
そう思うようになったのは。
思考感情にどっぷりはまっても私はどこへも行けないし何一つ失われることがない。
そういったものからも、今までもこれからも自由だった。
ということが、しみこんでいるからかもしれません。