なんか不安におそわれそうになったとき、やること。
- 不安をじっくり見て、その奥の気持ちを抱きしめる。(インナーチャイルドワークなど。)
- 自分自身に「なんでもいいよ。」の言葉がけをする。
以前はひとつめをよくやっていたのだけど、最近はふたつめをよくやっています。
今日はこんな言葉がけ。
不安なんだね。
不安をどうにかしようとしなくていいよ。
どうにかしようと見てあげてもいい。
見ないとなくならないって?
不安はなくしてもいいし、なくさなくてもいいよ。
私はどんなももちゃんも好きなのさ。
このままじゃいけないって思ってもいいし、このままでいいって思ってもいい。
どっちの考えもいいよ。
行動してもしなくてもいい。
めんどくさいを優先してもいい。
ずっと、変わらなくていいよ。
少しずつお金が減っていくこと、気にしつつ傍観しててもいいよ。
何とかしなくては!というおそれから動いてもいいよ。
どっちでもいい。その考えを採用してる、かわいいももちゃんがいるだけ。
働く理由が義務感からでも、好きだからでも、どっちでもいい。
そこに優劣をつけるのも、ももちゃんの自由な選択。
ずっとひとりでもいいんだよ。そうしたかったら。
なにかのために誰かと一緒にいなくてもいいよ。
なにかのために誰かと一緒にいてもいい。
どれを選んだからももちゃんへの愛が減るわけじゃない。
決めてもいいし決めなくてもいい、決めるのがいい、と考えてるのもももちゃんだよ。
何かを言い聞かせてる自分に気づいたら、やめていいよ。
望みとおそれ、望みと義務、戦わせなくていいよ。
両方あるなぁと見てるといいよ。
もちろん、どっちかを採用してもいい。
正解か間違いかを問わなくていい。
ぶっちゃけ何を選択するか関係なく、ももちゃん好きだし。
自分を生きてると思っても、生きてないと思ってもどっちでもいいよ。
自分を責めても、周りに合わせてもどっちでもいいよ。
ありのままであろうとしても、忘れちゃってもどっちでもいいよ。
ももちゃんが自分をどんなにいじめたと思っててもいいよ。
ももちゃんの思考や感情や行動がどうあっても、ももちゃんの価値はいつも変わらず満タンという事実。
ももちゃんは愛されているという事実だけがあるんだよ。
えー、流し読みしたあなた(笑)
あつくるしかったらごめんなさい(・ω・)
時間があるときに、ゆっくり、繰り返しよんでみてください(●´ω`●)
ポイントは、選択肢を見るのではなく、
(ここでは正しいかどうか、心地いいかどうか、正直かどうかを吟味し決めることが重要ではない。)
どんな選択もOKにして、「私」に愛を注ぐこと。
これをやってると、 いつも新鮮な発見があります。
私(=他人)の価値にどんな条件をつけているか、
行動の指針をどこにおいているか、
肯定と否定の定義づけをどこでしているのか、わかってきます。
そして、何してもしなくてもいいんだ~、その考えをジャッジして採用してるのは自分なんだ~、と腑に落ちてきます。
責められると思って身を潜めてたう○こたちが、姿をあらわします(笑)
そのときでてくるネガティブポジティブをすべてテーブルにのせたうえで、選択していくのは次の段階。
ここまでの無条件の愛、私だけが私に注いであげられる。
尽きることのない私の発見です。