自覚と悟り

自分の声が、おそるおそる顔を出したよ。

竜門峡~栖雲寺ハイク。
平戸の石門をくぐると、空気が一気に変わります。

ここ数日で意識のベクトルががっつり外→内向きに変わりました。

2日間、私と一緒に過ごして幸せを感じていて。

そのときの記事はこちら。

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私 with 私

アルバイトが一段落ついたので、この2日間はどうすごそうかなぁって思ってたんです。 登山や渓谷に行こうかなぁ。たまってる雑用もやらなきゃなぁ。いろんなことを考えてました。 いざその日がきてみると、昼まで ...

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次の2日間、さらに私と一緒にいて。

ようやく自然に抱かれたくなって、わくわくしながら竜門峡に行きました。

栖雲寺で瞑想もしました。
とっても気持ちの良い秋晴れ。
帰りに温泉にゆっくりつかりました。

いつだって自然はありのままで。

そこにいるだけで細胞は喜びます。

いつもの渓谷と違った感覚があり。

私はいつも自然に何か(癒やしとか、浄化とか)を求めていたのだなぁ、ということ。

そんな自分の癖を見つけることができました。

昨日はドルフィニストアカデミーの友人とカウンセリング練習をしました。

私はカウンセラー役をしたのですが、ただハートにいて友人の話をハートで聞くことを徹底していると、私から湧く言葉はおどろくほど少なかったです。

だって無問題なんだもの(●´ω`●)

友人が、何が起こっても大丈夫という自分への絶対的信頼のもと、(本人は無意識だと思いますが)安心して悩んだり、問題と思われることと向き合ったりしていることが伝わってきました。

私、ただいるだけでした(笑)

でも、内側にふわっとしていたものが話すことで明確化する。

おかげさまでこのカウンセリング練習を通して、私の方も自分の中に埋もれていた「声」が出てきてくれました。

ここ数ヶ月、わけもわからぬまま衝動と情熱に従い行動してきたこと。闘病記を書くことや、働きに出ること。

恐れからだろうが、自己保身だろうが、うぬぼれだろうが、掘ってみるより、躊躇するより、そういうの関係なく叶えてあげる時間でした。

この最中は、なかなか聞けなかった自分の声。

でもこれらの体験がなければ、なかなか出てこなかったであろう声。

それらが顔を出してくれたのです。

練習直後はそれがはっきりとはわからずに、もやもやとした体の反応だけ感じながら数時間眠ってしまいました。

その後、闘病記を書こうとしたのですが、ふいにいるかまきちゃんに相談しようと思ったのです。

いるかまきちゃんとmomo.

ブログ講座開催している、いるかまきちゃんのブログはこちらです。

湧き出る気持ちをノートに書いていくと、でるわでるわ。

本当は疲れてるし、闘病記を書き続けるのがこわい。

それは、ありのままの真っ向勝負の記事だから。

追体験する大変さやつらさもあるけれど、それ以上に、こんなに自分をさらしつづけて周りからどう思われるのか。

それがとてもこわい。

こんなにさらしつづけなくても、のほほんと日常を書いているならどんなに楽だろう。

一方では書くことが楽しくて、こんつめて集中して書いている自分もいて、いわばブレーキとアクセルを同時に踏んでる状態の自分が見えてきました。

心の奥底では、こんなに自分を出していることを否定している私もいて。

私苦しかったんですアピールでしょ?

周囲にやさしくされたい、共感されたい、応援されたいからやってるんでしょ?

こんなに自分を出して有名になろうとする自分が好きじゃない。

自分を否定して責めていたことにも気づき。

矛盾するかもしれませんが、この一ヶ月追われるように闘病記を更新していたのは、楽しい反面、その奥にあった苦しさを早く終わらせたいからでもあったことに気づきました。

いるかまきちゃんから、もっとゆっくりでいいよ、ももちゃんの心地いいペースで恐れも大変さも抱きしめながら進めるといいよ。

と言ってもらえて、あぁ、そうか。否定したい自分も、恐れも、抱きしめながら行くんだ。

「読んでくれている人に」共感して受け入れてもらうためでなく、「私が私に」それをするために書く。

私自身とより仲良くなるために書くんだ。

どんな気持ちが出てきても、一個一個見つけてあげよう。

抱きしめながら自分のペースで進めていこう。

そう思いました。

ベクトル内側にセット完了(笑)

そんなわけで、これから闘病記は少しスローペースに進む予定です。

いるかまきちゃん、ありがとうね(●´ω`●)

ノートに書きなぐっていたら、にゃんずがそばに来てくれました♪

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