昔っから、自分の体には自信がなく、コンプレックスばかりだった
思春期にはよくあることかもしれない
いつしか体への軽視に変わった
体と心が分離していってることにも気づかず
心だけに従って突っ走っていった
おととし病気になった
抗がん剤で薬漬けになり
手術で胸に傷がつき
放射線で皮膚がかさかさになった
あるとき、私は自分の体を「嫌悪」していることに気づいた
治療に頑張った素晴らしい体ととらえてもいいはずなのに
そして、その嫌悪は病気が原因で生まれたのではなく、もともと持っていた
病気は気づくきっかけにすぎなかったものだと
すぐには好きになれなくても
せめて関心を持とう
体を大事にしよう
五感を、感じることを大切にしようと
山に登り、声を出すことを始めた
つい先日、女性だけが集まって、ヌードのデッサン会に参加した
こんなに醜い私の体を見せられるものかと
理性が騒ぎ始める前に申し込んだ
そこに鍵があるような気がしたから
結果
すべての体は美しかった
傷のある体も、年齢を重ねた体も
そう思っている私を知れたことで
私が今まで思いこんできた幻想を幻想だと知ることができた
最近は「こうであるはずだ」「こうでなければ」という思い込みを無視して
そこから離れたところから行動を起こす・起こさないを選んでいる
思考は当てにならないんだ
過去の恐れや習慣や常識からできているから
未知のもの、いつもと違うことにはブレーキをかけたがる
体にくつろぎ、すべてOKというところにいながらも
ハートがやりたい・やりたくないというならその声に従ってあげる
それだけのことを私は
働かないでいるということで
猫を拾って引越しをするということで
登山・ヨガ・ヴォイスヒーリングを通じて、体を使って感じるということで
さまざまな行動を通して学んでいるような気がする
ブレーキはどんどん出てくるけど
そこにとらわれないところの「ありのまま」をみてあげる
行動できなくても大丈夫
たどたどしくても、かまえてても大丈夫
すべてを許しながら、それでもとらわれない方向へ少しずつ進んでいく
そんな自分はけなげでとてもいとおしいのだ
一人一人が、ちゃんと「自分を」見てあげること
大事な大事なことだと思う