自覚と悟り

からだワークショップ夏合宿2015

舞台芸術の学校が毎年開催している「からだワークショップ夏合宿2015」というものに参加してきた。

雰囲気のある廃校で寝泊まり&ワーク。

全日程5泊6日のワークショップだが、短期間での参加もできるとわかり、私は2泊3日での参加。

一言で言うと、価値観がひっくり返るような刺激的で、根源的で、生きている喜びに満ちた2泊3日だった。

momo.
momo.

帰宅ほやほやの感想を書きます。

1日目

私は体力も筋力もないことを自覚している。運動も団体行動も苦手なのに、なぜか迷いなく参加を決めていた。

案の定、行きの電車の中では若干後悔。。完全に弱気になっていた。

その心境が覆ったのは、廃校に荷物をおき、歩いて午後から山に入り、ワークが始まってからだ。

森でいきなり裸足になった。

寝転んで、森の音を聞いた。

虫が気になった。

時間が経つうちに、足の裏がジンジンしてきた。とても心地がいい。

土にはたくさんの生と死があった。生と死の境は曖昧で、あたたかく、湿っていた。

暗がりの中、皆で、リズムを取り、踊り、歌い、ころげまわった。

かと思えば、めちゃくちゃスローテンポで動く。

やっていくうちに、思考が止まり、感覚がとぎすまされてくる。

あるとき、私は急にこみあげるものがあり、本気で大声で泣いた。

周りも自由に叫んだりしていた。

ひとりではいけない境地に皆でいった。

言葉はなくとも、もう許し合っていた。

きれいな満月。
かろうじて残っていた写真。

分刻みのスケジュールで、携帯も圏外の環境では、写真をとる気力もない。

2日目

翌日も、大半を山で過ごした。

大地に溶ける感覚。

そのとき私は、今なら死んでもいいと思った。そこにある死はとても自然なものだった。

虫を気にしていた私はいなくなった。

木に守られている感覚。

木も土も虫も無い。その言葉はふさわしくない。

土は葉や枝や死骸でできているし、葉や枝は木の一部。

名前をつけると分離してしまう。

すべてはひとつであり、目に見える形が違うだけだ。

身体中あちこちいたい。でも幸せでいっぱいだ。

3日目

最終日、皆でひとつの作品をつくった。

私は土の精になり、地をはいずり、ころげ、走り回った。

枝を楽器にしてリズムを取り、踊った。

それぞれが自由にしていながら、ひとつのまとまりと調和が起こっている感覚が楽しかった。言葉は無用だった。

私は私を制限して、今までこの世界に連れてこなかった。

けど、とことん内側をみるとき、少しずつ表現にチャレンジするとき、登山とボイスを楽しむとき、その積み重ねが、この合宿でひとつの実を結んだみたい。

人間社会で纏ってきた常識と、自分への思いこみが根こそぎ落とされた。

その先に、新たな自分の可能性をみた。

この体験は、この先もさまざまな発見をもたらしてくれると思う。

ありがとうございました。
momo.
momo.

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