この夏は、なんだかんだで家族といる時間を大切にしてきました。
去年はひたすら自分を追求すること、そのためのWSや合宿などに参加する夏でした。
今年の春くらいから変わりました。
どこかに出かけることがマストではなくなり、行っても行かなくても私の価値は変わらないということが、腹におちてきました。
焦燥感や行動することへの情熱がすっぽりなくなり、そのかわり、今ここで味わっている幸せをたくさん感じるようになりました。
6月くらいから瞑想やヴォイスワークもしなくなりました。
それまで私は瞑想などを、苦しみから逃れたり心地よさを得るために絶対視していたのだということがわかってきました。
いま味わっているこれがすべてで、これから逃れる必要もなく、美化する必要もなく、ワンネスだから良い、分離だから悪いということもない。
そう考えていたのは私だ。ということを、瞑想やヴォイスワークすらもしない。ということでみてきました。
ただ生きていく。
その中で確かに残ったのは、私は私と一緒にいて離れることはないという安心感と、夫や猫たちへの柔らかい愛情と、彼らとともにするくだらなくも楽しい時間。
そこからうまれる、友だちや家族との満ち足りた時間。
そのようなことが、どんな娯楽より今の私の活力なのだ、ということでした。
そして先月からは、それをシェアするお茶会も始め。
セッションやことほぎ。もちらほら増え始め。
三年ぶりに働きにでることも視野に入れはじめ。
少しずつ行動が外側に広がる中で、不安もあるけど新しい自分もしりたい、二つの気持ちがあります。
先日、たゆたう。スペシャルセッションを受けてくださったお客さまからいただいた言葉が、うれしかったです。
momo.ちゃんが以前、「今のこのままのあなたでいいんだ。何かをつけたしたりしなくていい。」と言いきっていたのが印象に残った。
そのゆるぎなさ、どっしり感はどこからくるのか。
それがセッションを受けようと思ったきっかけのひとつ。
そんなことを言っていたことすら覚えていないのですが、この言葉に私自身が引き戻されました。
ああそうだ。
そのどっしり感の中で、たゆたっていたらいい。
必要なものはすでに備わっているから。
私は私を心地よく、きれいにしてあげる。
焦点をしぼったら、付随するできごとを軽やかに体験していく。
それだけなんだなぁ。