自覚と悟り

愛する存在を守りきれなかった過去の記憶

最近よく自分の過去世が見えるようになりました。

過去世を信じる信じないは別として、なぜか人一倍反応したり、過度に気にしたりすることがありますよね。

そのポイントは千差万別です。

幼少期の体験から繰り返していることもありますが、それでは説明がつかないこともあります。

やはり、何度も生まれ変わっている人生から握っていると考えるのが自然です。

その原因みたいのを探るときに、過去世がよく出てきます。

なにしろ人は三万回以上も生まれ変わっているらしいので、それこそ膨大な経験、体験、しています。

最近出てきた過去世について。

ここ数週間で、「火垂るの墓」を観て号泣したり、実家に帰ったときに「猫は生きている」という本を見つけて読んで、深く感じるところがありました。

どちらも戦時中のお話で、命をかけて守ろうとした小さな存在が死んでしまうという場面があります。

私はそんな悲しい話はあまり好きではなく、戦争に関わる作品も長いこと避けてきました。

それが、立て続けにそのようなお話に触れ、そのとき感じたこともいつもと違う感じでした。

今日出てきた過去世は。

愛する存在を守りきれなかった記憶でした。

自分の命より大切な存在を、助けられなかった。

その小さな存在は目の前で助けを求めていたにもかかわらず、私は為すすべがありませんでした。

深い悲しみがよみがえってきました。

この体験から、私はあえて孤独を好む人生を多く選んできました。

そして愛するものができると、失うことをとてもおそれました。

そしてその恐れは今世に持ち込まれました。

気づいたら、もうその悲しみや恐れを握りつづけずに、解放することができます。

今は、過去にその体験したときと時代も背景も違うのです。

もう、それを恐れる必要はないんだなあ。と楽になりました。

守りきれなかった罪悪感も悲しみも、もういらないのです。

それはもう終わっていることだから。

早乙女勝元(著)田島征三(絵)『猫は生きている』1973年、理論社
momo.
momo.

絵本『猫は生きている』は東京大空襲のお話です。
興味がある方はご覧ください。

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