ほにゃにゃんにペロペロしてくれたよ❤❤
全宇宙のmomo.ファンの皆さまこんにちは。
今まで真剣に自分と向き合ってきたのは、何か苦しみが生じた時でした。
必然的に、抑圧してきた自分の本音によりそい、抱きしめ、否定しないできいてあげる、というやり方になり、
そんな「ひとつひとつ自分を愛する」コースで、私はひとつひとつ、階段を踏みしめて登るように、自分への愛を深めてきました。
これはこれで、よかったよね。
そして、この積み重ねがあったから、今、私への愛がいっぱいだから、
もう、この「よりそう」は、いいよね。
もう、「自我がいない」「ぜんぶストーリー」て、わかってるよね。
今、この瞬間、自我の声に付き合わない。
瞬間瞬間、決意とともに、本性に還る。
をやっています。
やりなれていたパターンを変えるのは、意識的になる必要があります。
やり始めて、早々に気づいたのが、
私、「自分を外側のことで喜ばせる」ということに、どれだけ盲目になっていたんだろうか。
ってことでした。
たくさん眠ること、にゃんずと戯れること、散歩すること、イルカ仲間との時間、家族との時間、、
日々、ハートが喜ぶ選択をし、ハートが喜ばない選択をなるべくしない。
そんな絶対的基準のもと、動いたり、動かなかったり。していました。
これって、いいじゃん!って思うじゃないですか。
私はそう思ってましたよ。
こういう自分を大切にゆったり過ごす生活できて、そんな現実を創ってるからいいじゃない。って。
正直、そういう「喜び、幸せ、ほっこり(●´ω`●)」なとき、どっぷり浸って、自覚してなかったよねぇ。。
それはそれでいいんですよ。
いいんだけど、大事なことがあって。
この三次元の現実では、
必ず「光(喜び)」と「闇(苦しみ)」は同じ物差し上の逆ベクトル。
そのものさしを握っている以上、
自分が、「闇」と同じように、
「外側」に「光」を創りつづけていること。
安心し、満足できる対象を、外側に創りつづけていること、
その中毒であることに、気づくこと。
もちろん、喜んじゃいけないわけじゃなくて(笑)
喜びも、自我であること、本当はないこと、
安住しているそれも、
都度都度見破っていくことなしに、
自我を完全におくって、不可能なんじゃないか。
そう思いあたったところです。
悟りハンドブックでヒットしたフレーズを紹介しますね。
自我の〈私〉は、
〈私〉の価値を実感させてくれる対象に対して「愛されている」と感じ、
また、〈私〉を確信させてくれ、安心させてくれる対象に対して「信頼できる」と感じます。
「愛されている」「信頼できる」の他に、
「一緒にいて楽しい、嬉しい、大好き、一体感」も同義かなぁと思うのですが、
そうやって私は、せっせせっせと、
「外側」に「光」を創ることにいそしみ、
「闇」を見破って排除しようとしていたのだなぁ。。
その両方を創っている「私」なんだ。。
そんなことを自覚した、今日でした。
この光の美しさには、いつも、一体感を求め、虜になっていた私です。