前回の新月、私は幼少期に住んでいた、南部町に行っていました。
その時の記事
幼少期の原風景
3~6歳、私は青森県の南部町というところに住んでいた。 その後津軽に移ったので、地元といえば津軽ということにしている。 しかし、私の原風景は、いつも、南部町にあった。 先日、28年ぶりに、そのあたりを ...
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その日の夕方、八戸に住む友人と、種差海岸に行き、一緒にヴォイスワークによる瞑想をしました。
いま思えば、この一連の体験は私に変化をもたらしました。
南部町での感覚で、私はこの感覚に引きずられてこれまで生きてきたのだ、とはっきり自覚をしました。
ワンネスが良い。分離は良くない。
ワンネスの感覚を感じつづけたい。これは良いものだ。
私はこの感覚をシェアしたいんだ。
無意識に感じていたこの使命感。
この考えが、過去世から持ち越しであり、これがしたくて(これに執着して)生まれてきたのであること。
スピリチュアルのてっぱん用語「魂の目的」ともいえると思います。
これって何か大それたもののように感じますよね。
これを知りたい!これがわかったら、使命が与えられて、私はこのために生きる!てなる。
この魂の目的こそが、私の苦しみ(焦り、不足感)の原因だったとわかりました。
この魂の目的も、私固有の考えであり、「ワンネスに戻ることが当然良い」と考えるのも私固有のもの。
そこには、「私はドーナツが好きだ!好きなんだ!」という気持ちと同じくらい、人それぞれの好みがあり、それと同じくらいどっちでもいいこと。
「ドーナツ(ワンネス)が嫌いだ!」とどんなに言いはっても、その人の価値に影響はない。
というようなことが、腑に落ちました。
ワンネスも一つの考えにすぎず、そこにとらわれる必要はないってことが。
そのあと二週間くらいたちますが、生きる指針をうしなってます(笑)
ヒーリングも、チャネリングも、瞑想も、お休みちゅう。
ただ、一日一日を過ごしていく日々。
私自身、良いと思い続けてきたものが、ほんとのほんとに握ってる必要のないものなんだ。(ドーナツ程度)
とわかったら、それ、自然に手放しましたよね。
そしたら、それまで大体の言動がそれありきだったことが判明しました。
私の中でずっと根底で流れていた、不協和音というか、駆り立てられる感覚がなくなりました。
これは、抜けてみて初めて気づきましたの。
だからといって、考えや感情はいままで通り起こりますし、不安や恐れも起こります。
けど、根底に深刻さがないんです。
求めつづけて、自分を見続けたから、自分で見つけられたところだということも。
でなかったら、多分、南部町行っても、懐かしいだけで終わってたのでしょう。
そう考えると、このストーリーも私の考えなのですよん。
この先、momo.がどうふれるのか楽しみですなぁ♪
あ、魂の目的を放棄するのがいいとは言ってません。
それを知ることのよしあしもそれぞれの考えだし、(自分でそこにたどり着くのが好ましいと思うけど、それも自由)
知ったあと、それに取り組むのが喜びって思ったらすればいい。
ただそれも絶対的なものではなく、私が設定してる考えだとはっきりわかったら、それにとらわれなくなっていくのかなぁと思います。